あの人も偉人フリーターだった?フリーターだった偉人達

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トーマス・エジソンは12歳から働いていた

白熱電球や電気機関車、蓄音機などが世の中に広まり、実用化されたのはエジソンの発明なしでは語れません。偉大な発明家であるエジソンですが、幼少期のエジソンは、いわゆる普通の環境で生活をしていなかったようです。なぜなら、小学校に通い始めたものの、教師に質問を執拗にしてしまったり、問題を起こしたりと、色々とトラブルを起こす子供という評価がついてしまいました。そのため、小学校を退学されられてしまうのです。幸い母親が元々教師をしていたこともあり、エジソンの教育をすることになりました。母親が、エジソンの常に答えが既にあったとしてもそれは何故、どうしてと問いかける深い知的好奇心を満たすことができました。この経験が発明者になる基礎を作ったのかもしれません。
しかし、小学校には通っていないので、時間はあります。そこでエジソンは列車の中で新聞などを販売する仕事に就くことにしました。今でいうところのフリーターを12歳の時点で既に始めていたことになります。エジソンが幼少期であった時代にも、フリーターのような仕事をする人というのは案外存在していたのかもしれませんね。
その後、列車での販売の仕事で色々な失敗やトラブルを起こしながらも、仕事を続けていきますが、この仕事が縁で電信技師として定職に就くきっかけになりました。電信技師として働く中で技術を磨きながら、数多くの発明をしていくことに至りました。

ウォルト・ディズニーはどのような仕事をしていたのでしょう

ディズニーランド、ディズニー映画などは多くの方が1度は訪れたり、映画を観たりした経験があるのではないでしょうか。この基礎を造ったのがウォルト・ディズニーです。ウォルト・ディズニーは幼少期に鉄道の近くに家があったため、エジソンのように新聞やポップコーンなどを販売していたこともあるようです。絵が好きだったことは幼少期からで、7歳のころには自分の描いた絵を近所の人に売っていたこともありました。
将来絵の仕事に就きたいと考え、絵の学校に通いました。父親の経営していた工場は継がずに、一人で自立する道を選びました。フリーの漫画家として生計を立てようとしていたようで、新聞に載せる漫画を描く仕事を得ましたが、それだけでは全く生活はできませんでした。そのため、心配した兄が広告作成の仕事などの単発の仕事を紹介していたそうです。
フリーで契約していた仕事が打ち切られて失業してしまったために、友人と2人でスタジオを立ち上げて、その後短編アニメなどの製作をすることになりました。ここでアニメーションの製作に本格的に打ち込むことになりました。
その後、独立して個人事務所を設立してからも、フリーランスの製作者として活動を暫く続けていたようです。ウォルト・ディズニーはこのようなフリーで仕事をする経験を長年に渡り経験していました。その先に世界的にも有名なディズニーが誕生したのです。

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