派遣社員から国会議員へ、杉村太蔵のシンデレラストーリー〜未来は今の積み重ね、杉村太蔵の仕事観とは〜

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日本の実業家、投資家、政治評論家、タレントとしてマルチに活躍する杉村太蔵さん。

「派遣社員」から「衆議院議員」になった異例の経歴を持つ。そんな杉村さんの「学生時代の挫折経験」や「衆議院議員までの道のり」「仕事観」についてお話を伺いました。(聞き手:レバレジーズ株式会社執行役員 間山哲規)



杉村太蔵プロフィール

1979年8月13日、北海道旭川市に生まれ。2004年3月筑波大学中退。 証券会社勤務を経て、2005年9月に総選挙で最年少当選を果たした。厚生労働委員会、決算行政監視委員会に所属、労働問題を専門とし「ニート」や「フリーター」問題など若年者雇用の環境改善に尽力。現在は「サンデー・ジャポン」「幸せ!ボンビーガール」など多くのテレビ、ラジオ、雑誌などで幅広く活躍中。


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大学中退、司法試験には不合格。人生最大の挫折

――現在実業家や投資家、タレント活動など、さまざまな場所でご活躍されている杉村太蔵さん。お父様は歯科医師だそうですが、医療の道は考えなかったのでしょうか?

まったく考えませんでした。歯医者は立派な仕事だと思います。父のことも尊敬しています。でも僕、どうしても歯医者に興味を持てなかったんです(笑)父をはじめ家族や友達も僕が歯医者になるものだと思っていたようですが。

高校生の頃の僕は車が好きだったので、高校の近くにあった自動車の修理工場の求人をチェックしてました。すぐに働いてお金が欲しかったんですよね。

――経歴を拝見したところ「筑波大学 中退」とありました。自動車工場には就職せず、進学されたんですね。

僕は行く気が無かったんですけどね。父が「大学くらいは行け」と言っていたのが一つ、僕がテニスの国体で優勝したことが一つ、それが進学した理由ですね。

筑波大学にはスポーツ推薦で入っているんですよ。北海道から国体優勝という華々しい成績を残したから、各地の有名大学から引く手あまたで。その中に筑波大学があったんです。名高い国立大学だってことで、親と先生がグイグイと僕の背中を押したんですね。「働くのはいつでもできるんだから」と諭されて、押し切られるような形で進学を決めました。

――そうして入った国立大学ですが、中退してしまったんですね。

そうなんですよ。何も上手くいかなかった。小学校では児童会長、中学校では生徒会長、高校ではテニス部キャプテンで国体優勝と、それまでの人生は順風満帆だったのに!スポーツ推薦で入学したにもかかわらずテニス部に入らない。勉強もしない。塞ぎ込んだものだから友達もいない。いやー、大学生活の6年間は僕の人生において一番暗かった時期でした。そのうち1年間は完全に引きこもっていましたからね。

大学側が両親に連絡をしたことで、引きこもり生活に終止符が打たれました。親が僕のアパートへすっ飛んできたんです。母と話してみて、ようやく「勉強しよう」という気持ちになって、いろんな学部の授業に出てみました。そこで出席した法律の授業をきっかけに、弁護士を目指して勉強するようになったんです。しかし、やる気になるのが遅かった。結局司法試験には合格することができませんでした。そして2004年の春、僕を待っていたのは「卒業できずに大学を追い出され、無職になる」という最悪の状況でした。

不採用ばかりで正社員になれなかった

――当時ってちょうど就職氷河期でしたよね。

そうですね、ちょうどその頃です。ただ、僕の場合は学生時代に就職活動をしていなかったので、その洗礼を受けるのはもう少し後の話になるのですが。

大学に6年間も行かせてもらったのに何も無い状態で父親の元へ帰るわけです。それはそれは憂鬱な気持ちでした。でも大学にも戻れないし就職先も無い。帰るしかないってことで実家に行って、僕は現状を報告しました。父は声を荒げることなく「この先どうするつもりなんだ?」と、僕に尋ねました。僕は「旭川に帰って歯医者を手伝うよ」と答えました。すると、僕の呑気な回答に父はついにブチ切れました。 歯医者の資格も無いのにいい加減にしろ、何でもいいから働けと。そして「働かないなら死ね!」という言葉を放ったんです。言われた瞬間のあの空気は未だに忘れられないですね。

――すごい表現……。お父様の叱咤を受けて、どう思われましたか?

目が覚めた!良いことを言ってもらったんだなあと思っています。全くもってその通り。それまでは弁護士だの何だの夢ばかり大きくて、ふと気づいたら何も無いままここまで来てしまった。ここでやっと、親に仕送りをしてもらわなくても自分の力で生きていけるようになろうと決意し、アルバイトをしながらの就職活動をスタートさせました。

ところが当時は就職氷河期。真面目に勉強してた大学生が30社以上受けても内定が取れないような時代です。大学中退の僕は、都内にある若者向けの就職相談所へ行きました。そこで「あなたは何がやりたいのか」「あなたは何ができるのか」と問われました。この問いはこたえましたね。見つからないからここに来てるわけですからね。だから手当たり次第に求人を探しました。

その時見つけたのが温泉地のツアーコンダクター。飲み会などでももてなし上手で大活躍する僕の個性にも合うし、年齢・性別・学歴・経験不問。これはいいぞと思って一番気合を入れて履歴書を作りました。結果は惨敗。書類審査で落とされて、面接を受けることも叶わなかった。「きっと僕はこの世界でいらない存在なんだ……」と、さすがに落ち込みましたね。

――なるほど……。引き続きフリーター生活になるわけですね。その後の就職活動はどのように進めましたか?

正社員の募集に落ちたので、今度は派遣社員になろうと切り替えました。派遣会社の登録説明会場に行くと、座席はいっぱいで立ち見の人もずらりと並んでいる。若者だけでなく、会社をリストラされたのであろう50代のサラリーマンの方もたくさん見受けられました。本当に厳しい時代だったと思います。

そんな世情でしたが、幸い僕は登録から4、5日で派遣先が決まりました。派遣先は清掃会社で、職場は東京の永田町にある超高層ビルでした。

「君は将来出世する」。人生のターニングポイント

仕事内容は朝から晩までビルの清掃をすること。廊下に掃除機をかけたり、電球を交換したり、トイレ掃除をしたりしてました。いくつかフロアを担当するんですけど、その中に証券会社が入ってるフロアがありました。この証券会社が、のちに僕が入社することになる証券会社なんです。

――どういう流れで入社に至ったのでしょうか?

僕がトイレ掃除をしていると、そこに勤めるカナダ人の社員が話しかけてくれたんです。「Hey、社長社長」なんて言って(笑)。向こうがそう言うから僕は「Hey、会長会長」って返して。会えばそんなふうに冗談を言い合っていましたね。

ある日、カナダ人の彼は僕に「なぜ君はビルの掃除をしているのか?」と聞いてきました。こういう仕事は年配の方が多いし、僕みたいな若者は珍しかったからなんでしょうね。僕は清掃だった仕事をすることになったいきさつを話しました。すると、彼は「うちの会社で働かないか」と言ってくれたんです。さらに「将来、君はきっと出世するぞ」と、心強いメッセージもくれました。

――めちゃめちゃ高評価じゃないですか!

ビルで働く清掃員にですよ? 間違いなく、これは僕の人生においてのターニングポイントです。彼は僕を次のステップへ引き上げてくれた恩人ですね。今でもずっと連絡を取っています。

今の自分を育ててくれた上司との出会い

――証券会社で働くことになったわけなんですが……

それが、すんなりとは進まなかったんです。この時のこともまた、今の僕をつくる糧になってるんですけど。

僕を会社に誘ってくれたカナダ人の彼は、僕に将来的には営業職で活躍してもらおうと考えていました。そのためにはまず知識を身に付けなければならないということで、まずは営業部ではなく株式の調査を行う部署に出向きました。調査部長の前に僕を連れていき、「磨けば光る人材だ。ぜひあなたのもとで鍛えてほしい」と部長に申し出ました。

僕の顔を見た部長は、僕が清掃員だったことに気づいて難色を示しました。そりゃ無理もありませんよね。自社オフィスが入ったビルで働いている、ただの清掃員の男なんだから。当然の反応です。でも、そんな僕に可能性を見出してくれた彼は、めげずに部長に掛け合ってくれました。部長はついに根負けして、僕の入社を認めてくれました。ただし、ある条件を付けて。

――どんな条件だったんですか?

俺の携帯には必ず5秒以内に出ろ」って言うんですよ。とにかく連絡が付く男であれ。それが入社の条件でした。この教えは世に出て一番大事にしていることです。今回の対談についてのアポイントメントも、すぐに連絡が付いたでしょ?

――はい。あまりにもすぐに連絡が取れたので、驚きました(笑)。しかも、杉村さんご自身が電話に出られたので。

どんな相手でもどんな用件でも、すぐに連絡する。いただいた問い合わせに関してはすべて答える。連絡が付くか付かないかっていうのは、すなわち「人生でチャンスを掴むか掴まないか」ということ。チャンスを逃さずしっかり物にするため、部長に言われて以来ずっと守っています。

証券会社に入って気づいた “才能”

僕が証券会社に入ってびっくりしたのが、実は自分が数字に強かったこと。それまで株や為替、債権なんて全く関心が無かったんです。しかしね、株のチャートや決算書、一日中見ていられるんですよ。自分はこれに才能があったんだと、やってみて初めて気づきました。自分の才能が活かせる仕事に出会えた人は強いんだろうなと思います。僕が考える「才能」は、一言で言うと「好きだ」ということ。いくらやっていても苦にならない。それが上手く仕事に結び付けられたら最高ですね。

ただこなすだけの人に、明るい未来は無い

――才能を活かせる仕事に出会えたんですね。具体的にはどんなことをしていたんですか?

たいした仕事はしてないんです。株式調査部に入ったけれども、最初はそれこそ部署内の掃除や雑用。ごみを片づけたり、コピーをとったり、備品を補充したり、そういうことばっかりでした。でも、僕は入社直後で大きな仕事を任せてもらえないこの時期も、ただ雑務をこなすだけの期間にはしなかった。僕がいたのは株式調査部だったので、いろんなセクターの優秀なアナリストがいたんですね。その人たちのところに備品やレポートなどの書類を届ける係だったわけ。届けた時にそのレポートのことを質問すると、結構教えてくれるんですよ。全アナリストが僕の家庭教師みたいなことをしてくれてたんです。

――現在投資家として成功されているのは、その時のことがあったからなんですね。

あの時にアナリストに叩き込まれた知識・見解が活きているんだと思います。これって何も考えずにひたすら雑務をこなすだけだったら得られなかったことなんですよね。ただ書類を届ける、ただボールペンを置いてくる。そんな人には明るい未来は到底訪れない。どんな仕事を任されても、そこから何かを得ようと努力する姿勢が大切だと思います。自分のためにもね。

チャンスを掴むことは、育ててもらうこと

――挫折の経験から自信が持てず、就職活動で一歩踏み出せない人がいます。杉村さんは挫折を経て現在多数の場でご活躍されているわけですが、そういった就活生に向けてアドバイスはありますか?


僕なんかは知識も経験も無くてやる気だけはあった。やってみたら面白くて、好きになって、バリバリ仕事ができた。これが叶ったのは、皆が育ててくれたおかげなんですよね。何も無い僕を一人前にしようと、栄養を与えてくれた。先ほど話した証券会社の上司や部長もそうですし、今出演させていただいているテレビ番組もそうです。プロデューサーやディレクターも僕を育ててくれています。本当にありがたいことです。

チャンスを掴むっていうのは、裏を返せば育ててもらうことだと思うんです。じゃあどうしたら育ててもらえるの? というと、僕は成長意欲を持つことが必要なんじゃないかなと思います。「育てたい」と思ってもらえる人って、向上心を持っている人だと思うんですよね。そういう人って応援したくなるし、どんなふうに成長するのか見たくなるじゃないですか。チャンスはやる気がある人に巡ってくると思いますね。

未来は今の積み重ね

――今後こんなことをしたいだとか、そういった展望があればお伺いしたいのですが、いかがでしょう?

未来はまったく考えてません。「こうなりたい」「ああなりたい」ってことは無いです。ただひたすら、目の前の仕事を全力でやるだけ。その結果がどうなるかは分かりませんけど、そうやって一つひとつ積み重ねていくことで、将来「ああ、今の自分になれてよかったなあ」と満足できる未来が待っていると思います。

特に自分の働き方なんてものはどう展開するか予想ができない。僕がやっているのは株式会社杉村太蔵事務所の代表取締役社長。社員は僕以外いません。全部自分でやっているので、自分が駄目になったら終わりです。もう明日なき日を10年近く過ごしていますが、だからこそ目の前の仕事に全力を尽くすことが僕のモットーです。

今の人生に満足している

――では、杉村さんは今の自分にご満足されていますか?

「今」を積み重ねてきた結果である「今の自分の人生」に、僕は非常に満足しています。今の自分が好きです。僕は周りの評価よりも、大事なのは自分が満足しているかどうかなんです。

逆に言えば、人生を満足できるものにするためには、「今」に向き合う必要があるんですよね。もし「今」に不満があって現状を良い方向に変えたいならば、行動しなくちゃいけない。何が不満なのか、どうなりたいのか。それを言葉にしたほうがいい。ちゃんと発信して、かつ、そのゴールのために努力していることが周りに伝わると、僕の時みたいに応援してくれる人が出てくるかもしれない。ただただ黙っていたら、今の僕は無かったと思う。自分が満足するために、自分の意志で「今」、一歩踏み出しましょう。




編集後記

杉村太蔵さんは学年が一つ上でほぼ同時期に大学を卒業している。

2000年代前半に社会に出た、いわゆる「就職氷河期世代」もしくは「人生再設計第一世代」。

大手求人サイトでの一括エントリーが始まったくらいの時期で就職に関する情報も少なく、また新卒向けのエージェントサービスなどもない。それ以前に、少なくともほとんどの学生には知られていなかった。

私自身も何十社にもエントリーして、なんとか内定をもらった企業に就職したが、まわりには杉村さんのように正規雇用にたどり着けない方がたくさんおり、その中にはいまだに不本意ながら非正規で働いている方もいる。

確かに、杉村さんのように自らの行動で、チャンスを作り出し、それを掴むことができる人もいるが、だからとして「自己責任」の一言で片づけるのは少し乱暴な議論であろう。

それはそうと、杉村さんは今回のような取材に限らず、日程調整から取材場所の予約、その後の請求書の発行まですべてご自分ひとりでやられているとのこと。見習わないといけない。

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