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受け身ではなにも始まらない、行動を起こすことで世界は変わる〜大切なものは、すべて陸上が教えてくれた〜
更新日
シドニーオリンピックでは金メダルを獲得。その1年後には、当時の女子マラソン世界最高記録を樹立するなど、日本スポーツ史に大きな足跡を残している。
現在、スポーツキャスターやマラソン解説者として大活躍中の高橋尚子さんに「自身を変えたきっかけ」や「目標達成」についてお話を伺いました。(聞き手:レバレジーズ株式会社執行役員 間山哲規)
高橋尚子プロフィール
1972年5月6日、岐阜県出身。中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。2008年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟理事、公益財団法人日本オリンピック委員会理事、公
益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員
長、一般社団法人パラスポーツ推進ネットワーク理事長。その他「高橋尚子のスマイル ア
フリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターな
どで活躍中。
好奇心ではじめた陸上競技から、オリンピックへ
ーはじめに、高橋さんがマラソンを始めたきっかけを教えてください。
私が陸上を知ったきっかけは中学校の部活です。もともと小学校のマラソン大会などで優勝することは多かったのですが、それでも「陸上に専念したい」「陸上という道に進みたい」という意志は全くありませんでした。中学校で必ず部活動に入らないといけなかったので、「バスケ部」か「陸上部」かどっちの部活動に行こうかすごく迷いました。仮入部にいったとき、バスケ部は小学校よりもとても上手な人が多い印象、陸上部ははじめて目にするものが多かったのでそこに惹かれました。
例えば、靴にピンがついているスパイクを見たり、今までは立ってスタートをするスタンディングスタートから、クラウチングスタートでブロックが置いてあるのを初めて見たり、極めつけは“よーいスタート”で鳴らすスターターピストルです。それを同世代の選手が鳴らしているのを見て「刑事ドラマで鳴らしているピストルを私も鳴らしてみたい」と思ったのがきっかけです。(笑)そんな特別な意志があって「強くなりたい」「速くなりたい」「オリンピック出たい」とは思っていませんでした。
ー周りの友人や環境などが良かったっていうところもあるんですかね。スポーツの世界の中でも「陸上」という競技は、ご自身の性格と合ってたいたのでしょうか。
実は、もともと走るのが速い選手ではありませんでした。高校時代に初めて全国大会の駅伝に出たのが、全国大会のデビューです。都道府県対抗女子駅伝という47都道府県の中で、中学校から実業団の人たちがチームを組んで9人で走る駅伝が毎年1月に京都で行われますが、そこに初めて高校2年生のときに岐阜県代表で選んでいただきました。
走った区間が2区という区間、47人中45番で、後ろから3番目だったんですね。決して速い選手でもなく、後ろから3番手だったことが恥ずかしくて大泣きしたのは今でも覚えています。だからこそ自分は弱い選手だと思ってました。
8回目にエース区間で区間賞を取ることができましたが、一気に伸びたわけではなく少しずつ少しずつ目標を立て、それを一つずつクリアしていったからこそ伸びたと思っています。
「体の素質はないけど、頑張る素質はある」
ー最終的に超一流と言われる、アスリートになれる人たちの特徴や素質みたいなのものは、なにかありますか?
素質がある人達は、山ほどいると思います。でも私は「素質がない」ってずっと言われていたので、素質がある人が本当に羨ましくて仕方がなかったです。でも高校の時の先生に「お前は素質はないけど、頑張る素質はあるよ」と言われたのがとても嬉しかったんです。
でも頑張る素質は、体の素質と違ってやらなければなくなってしまうものだからこそ、自分自身は「人の2倍やって人並み、人の3倍やって人以上」っていうことを常に頭の中で考えて練習するようにはしていました。そうやって、はじめには明らかに人と差があったものも、少しずつ少しずつ積み重ねで埋めていくことによって少しずつですが、力がつけていたのかなと思います。
「最初から諦めずに、少しずつやれることを繰り返して自信につなげていく」ことはすごく大きいのかなと。私はそれが開花し始めたのが25歳以降で、そこまでの下積みはとっても長かったですが、それでも本当に小さい目標、手に届く目標というものをしっかりと立てて、それをクリアしていけば、自分の目指す自分に少しずつ近づいていけると思います。
小出監督なしでは、人生を語れない
ーいろんな選手を育ててきてる小出監督だからこそ、言われたことをきちんとやろうってスタンスだったのでしょうか。
最初はそうではありません。はじめから素晴らしい師匠や上司に会えるって人ってなかなか少ないと思います。時間とともに、意思疎通やコミュニケーションをとって徐々に理解をお互いにしていくってところがあって、初めてそういった関係になると思います。
初めて実業団に入って、小出監督のところに志願して受け入れてもらいましたが「私はこうしたい」など、自分を強調することが多く、上手く行かなかったことが多かったですね。
監督は「俺の言うことは絶対に聞け!」みたいな感じで、上から押さえつける監督ではなくて「はじめは好きなようにやってみろ」と自由にやらせてもらったことで、いつまでたっても伸びない自分に、今度は経験のある監督の言うことを一回聞いてみようと思いました。
そのときは自分の「やれない」とか「無理だ」とか「苦しい」とか「嫌だ」とか、ネガティヴな感情は全部消して、感情をストップして監督が言われることを忠実に再現できるような形で、人形になろうと決めてやった数年がすごく大きかったのかなと。
その後オリンピックまでは、お互いがお互いのことをしっかりと打ち明けた上でコミュニケーションを取れたことが、またひとつの上に登っていくところになったのかなと思ってます。「自分自身がこうしてもらえる」などの学生のような受け身にならず、かと言ってわがままを通すのではなく自分の体の状態を伝えながらお互いの思いをぶつけあう。そういった積極的に向かう姿勢はすごく大切だと思います。
成果を出したからといって、無理に世界を変える必要はない
ー金メダルを取ったあと、次のレースでのプレッシャーなどは感じましたか。
プレッシャーはありませんでした。みんなでオリンピックを戦い、戦ったあとはテレビ局を回り、雑誌や新聞なども回り、帰ってくるのは夜中の2時位でした。金メダルを取った夜は、監督とカップラーメン1個を2人で分けて食べ、そのまま就寝しました。
次の朝、朝練を寝坊したと思い勢いよく起きて、朝練場所へ向かったら誰も居なかったんです。そこで「あ、オリンピック終わったんだ」って気づきました。
せっかくだし走りに行こうと思って街を走りました。オリンピックで金メダルを取ったから、世界がバラ色に変わってるんじゃないかと思ってたんですね。ですが、昨日と同じ風と昨日と同じ町並みで、皆さん普通にすれ違いながら普通に走ってて、「だからなにも変わる必要ないんだ」というのを次の日の朝に感じられたのが、すごく大きかったと思います。
高校時代の恩師から贈られた座右の銘
ーそれでは、高橋さんを支えてきたものを教えてください。
高校時代に3つの言葉をいただいて、それが私の中の大きな核になっています。今の座右の銘にもなっているんですけど、ひとつは「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせやがて大きな花が咲く」私もはじめから力がある選手ではなかったので、いまやってることが本当に力になっているのか、本当にこのあとに繋がっていくのかってすごく不安になることも多かったんです。そういった練習をこなしながら、これは絶対に今根を生やしてるとこなんだと、いつか絶対に役に立つ、これが成果が出るときがくるんだというのは、ずっと頭の中で繰り返していました。
もう一つは「疾風に勁草を知る」。これは強い風の日に強い木がわかる。逆境のときに本当に強い選手がわかるという言葉です。よく言われたのは、強い風が吹いたときに大木っていうのは、強そうに見えるけど折れてしまう。しなる竹のように、どれだけ臨機応変に対応できる力をつけられるかが大切だということを高校の先生が教えてくれました。
陸上をしているとハプニングがたくさんあり、アジア大会は、気温30度以上、湿度90%以上の過酷な場所で大会当日の朝に朝食が届かなかったり。そういったハプニングがあっても平然と走らなければいけない。「試合会場にバスが遅れて15分前についてしまう、でもアップがないから走れない」なんてことも言えません。どんな過酷な状況でも、力を出せるかどうかが試されます。
3つ目は「丸い月夜も一夜だけ」。それこそオリンピックに使った言葉です。「満月も次の日になったらどんどん欠けていく」いつまでも満月のつもりでいてはいけないってことです。なかなか使うことがない言葉でしたが、「金メダル」でいつまででも浮かれててはいけないと。次の日から欠けてくるんだから、その日は喜んでも、その次の日からは次の満月に向けての準備をするっていうことです。ずっと伝えられてたこれらの言葉が自分の要所要所の場所で、私を支えてくれたと思います。
私が金メダルを取ることは、皆の金メダルを取ることと同じ
ーマラソンは実際、孤独なスポーツでしょうか。
もちろんチームとしてずっと長い時間同じ家に住んで、本当に寝食共にしてそして同じ時間を共有してっていったところでは、そういう人たちがいないと今の自分はいません。それぞれやるものに責任がある。
最後の試合を走る42キロっていうのは、それは私の仕事でもあるかもしれないですけど、そこにくるまでに小出監督が練習メニューを作ってくれて、これで戦えるだけの力を養ってくれる。料理を作る人は42キロ走るだけのしっかりと体作りをしてくれる。トレーナーの人は怪我がないように私をスタートラインに立たせてくれる。
みなさんが自分の仕事を全うしたうえで、最後の私は襷をもらったような形なので、私がここをランナーという役割で私が金メダルを取れたら、監督の金メダルも証明できるし、料理の金メダルも、そしてトレーナーの金メダルも。すべての分野の金メダルを私が証明することができるので、その人たちの全ての想いを背負い、みんなの想いが体の中に注入した状態で走っているようなイメージはありました。
今後も色褪せないのは「知り合った人たちとの関係」
ーそれでは最後に、就職活動を行っている方に向けてメッセージをお願いします。
失敗することに恐れずに、いろんなことにチャレンジしてもらいたいと思います。嬉しいことや悲しいことやつらいこと、全てにおいてその経験が財産になります。
経験が財産となるので、自分の可能性を手掛けてもらうために多くのことにチャレンジしてもらいたいです。今私が感じるのは、オリンピックで金メダルであったり、世界記録で大きく人生が変わりましが、私の中では時間が経つとそういった経験は、どんどん色あせてきてしまう部分が多いです。
やはりこれからも色褪せないものというのは、そのときに知り合った多くの人達との関係。人間関係がこれからの人生の中でも、自分の生活を充実させてくれたり、支えてくれるものにもなると思います。是非、多くの人たちと上手くコミュニケーションをとりながら人間関係を広げていってもらいたいと思います。
編集後記
世界一になるような人は、特別な才能を持ち、子どもの頃から世界レベルで活躍し、自分たちは違う次元にいる、そう思っている人は多いと思う。
確かにスポーツの世界をはじめ、「早熟」の人は多いだろうが、高橋尚子さんのようにひとつひとつの小さな目標をクリアした結果、世界一ににたどり着く方の存在は我々のような凡人にとってはとても勇気づけられる。
新卒や中途の採用面接、また社員からも「活躍している人にはどんな共通点があるか」という趣旨の質問を受けることが少なくない。そのときによく答える、というか逆に質問になっているが、「○○さんは、活躍する人にどんな共通点があると思いますか」と尋ねる。
ほとんどの質問者は自分なりに活躍する人の要素を説明してくれるが、その後に「じゃあ、その共通点を自分に持たせるために具体的にどんな行動をしてますか」と聞くと、具体的な答えが返ってくることは決して多くない。
世界一とは言わなくても、何かを実現したいという「想い」を持っている人は多い。その「想い」を持つことが第一条件。その「想い」を実現するために「要素」に分解できること。これが第二条件。で、もっとも大切なことは分解した「要素」を一つ一つ、実現するための具体的な行動。それを続ける強い「意志」。
高橋尚子さんのように目標を持ち、一つ一つ確実にクリアしていく。そういったようにキャリアを築いていくことが大切だろう。
執行役員 間山哲規
1981年生まれ。神奈川県出身。新卒としてNTTデータに入社し、エンジニアとしてキャリアをスタート。その後、アディーレ法律事務所にてシステム責任者、事務局長を経て、2012年にレバレジーズに参画。全社の経営管理体制の構築を担う他、若年層就職支援サービス「ハタラクティブ」、アパレル業界特化人材サービス「FASSIONE」、新卒向け就職支援サービス「キャリアチケット」をはじめ、複数の新規事業を創出、収益化を実現。2019年執行役員就任。
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京都大学工学部建築学科を2010年の3月に卒業し、株式会社大林組に技術者として新卒で入社。
その後2012年よりレバレジーズ株式会社に入社。ハタラクティブのキャリアアドバイザー・リクルーティングアドバイザーを経て2019年より事業責任者を務める。